「私は今 生まれて初めて本当の恋愛をしてるの」なんてうっとりしてたオンナがいました。彼女は人妻で子持ち。「本当のレンアイ」の相手は友人のコイビト、というか夫。 (もっとも、この関係、あっという間に破綻したけど。彼女の一人相撲みたいなものだったから…) さて。 で、「本当のレンアイ」って何? そもそも、「本当の恋」なんて単語はかなり寒いものがあるけど・・ だって、「恋」ってもともと「自分本位」なものでしょ? それはただの「一時的な感情の嵐」でしかないでしょ? 相手なんか全然見えてなくてもOK,OK。映画スターにだって真剣に「恋」できるわけだし。実在の人物である必要すらない。 さて、人が「恋」したがるのは「酔いたい」からですよね。
でも「陶酔」を伴うんだから 結局のところ、自分のための感情。
ヤクに夢中になるのと何が違う? 酔ってる間は目をそらしてるだけで結局何一つ現実が変わっているわけではない。自分もいいオンナになったような気がしているかもしれないけど、現実のあなたは相も変わらず冴えない田舎の主婦。 恋の魔法が解ければタダの平凡なヒトに戻るだけ。カボチャの馬車はカボチャの馬車でしかない。 なんでこんなこと思ったかって? 冒頭の彼女の言う「真剣な、本気の恋」は、単なる身勝手な不倫恋愛だったから。自分が気持ちよくなりたいという欲望だけのための行為。独りよがりでエゴイスティックで、この世の誰一人幸福にならない自己満足。 自分自身の「幸福」とやらも蜃気楼のような相対的なものでしかない。 そのうえ そんな「一時的」なくだらないもののために まあ、偏見承知で言わせてもらえば、世の退屈している女達には、不倫への憧れ、不倫こそ本当の恋よ、みたいな馬鹿馬鹿しい思いこみがあるのかしらって言いたくもなる。 ハーレクインロマンスも、レディースコミックも、なんだか不倫オンパレード。 それも、不倫する側をヒロインに祭り上げたストーリーに偏って 読者におもねっているからね。「不倫というなの純愛」だの、「愛した人には隣に微笑むひとがいた」だのっていうキャッチコピーの下らない物語たち。
「迫害される恋愛=崇高な純愛」っていうすごい単純な型にはまった図式に酔ってない?あんたら。 昔「スキーウェア5割り増しの法則」なんてのがあったけどさ、何一つ障害がない場合を100としたら背徳の恋だっていうシチュエーションが加わるだけで興奮度が倍加して実体の200ぐらいの価値にインフレーション起こしてると思う。 でもね。それを「本当の恋なの」なんて一人芝居で思いこむのはどうかなー? こちらを手に入れたら あちらは手に入らないことが普通だと思ってご覧? きちんと、優先順位を明確にしてる? そこんとこは正確に押さえてから行動してね。無自覚な行動は周りが迷惑だから。 現実ってシビアなものよ。 それしないで、お金も払えないくせに ただ「あれが欲しい、欲しい」って駄々こねるのは、オコチャマと一緒でしょ? 欲しいなら対価を払いなさい。でないと単なる万引少女よ? 「やっちゃえばどうにかなるよね」なんて甘い考えなら、それは支払能力や借入残高の整理も出来ずに暴走する多重債務者とまるで一緒。ちなみに、不倫する人と、カード破産する人って統計的にかなりカブるんですって。さもありなん。 彼女は、「私は今、本当の恋をしているの」だなんて、自己陶酔に溺れて、うっとりした目で譫言みたいにつぶやく。 でも、私に言わせれば彼女のそれはただのマスターベーションでしかない。 だって、じゃあ、あなたは一体相手の何をどれだけ知っているか数えてごらん? あなたは見た目が好きなだけ。上っ面だけを、しかも自分に都合の良いように脚色して悦に入っているだけでしょ? 悦に入るのは実際は、「自分がこうなってみたいと思ったまさにその状況」に自分が浸っているからに他ならない。だから、最高に気持ちがいい。 あなたが見ているのは単に、自分が見たいと思っている像。虚像。 相手の内面に繋がるものについて、何も知らないし、興味もない。影響を受けた小説、好きな音楽、好きな映画、どんなものにどんな面で感銘を受ける人か、等々。その人は何に怒りを感じ、どういうことに傷つき、どういうことで幸福を感じ、どんなことを憎悪するか・・・ それを知らずして恋焦がれてもそんなものは幻想、自己満足でしかなくて、「自分勝手な恋の幻想」でしょう? 三日も一緒に暮らせばメッキが全部剥げ落ちちゃうだろうに。 まあ 片思いだと、相手像はいくらでも理想化できるし(だって「嘘」なんだもの最初から)、何とでも内容を偽造できちゃう。 彼女は言う。 「焦がれて、焦がれて、苦しいの」 でもね、それが、どんなに苦しかろうが、そんなことが「本物」のバロメータにはならない。苦しいから本当の恋なのね、なんて勝手に陶酔しないで欲しい。だいたい、そんな「苦しさ」は快感でしょ? 気持ちよいから 身をゆだねているのでしょう? ・・・イタイよ、それ。 「恋」って所詮、独りよがりなもの。スタンダールの恋愛論の時代から変わりはしない。「結晶作用」は相も変わらず自分の見たいように世界を見せるものだし。 石ころが宝石に見えてしまうのが「恋」。 だからこそ、楽しいわけ。価値があるわけ。
「これが本当の恋なの」だなんて、自分に都合の良いただの思いこみだよ、って。 「あなたのイヤなところなんてひとつも思いつかない」って言っている間はホンモノじゃないのだよ。 いやなところ、ありあり。 「恋」なんて、ナルシスティックなただの自己満足。
自分にとっての理想のラブストーリーに必要な役割を、手頃な生け贄をみつけておっかぶせて悦に入っているだけ。 まあ、「恋」って、多かれ少なかれ、そういう自己満足でしかないものだと、今の私は思う。 げっぷが出るほど恋愛してみて、実感すること。 なので、「恋愛至上主義者」は自分の周囲からは締め出したいね。そろそろ。うざいから。 そういう厨房は、逝って良し。 38−9になって迄、やってるんじゃないよ、って云いたい。 |
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