もう6,7年前のことだろうか。 「彼女」はとても印象的だった。 私の仕事はコンピュータシステム開発であるが、当時タウンページには「コンピュータ教育」の項目にも登録されていたので、「彼女」はそれを見て飛び込みで「パソコン教えてもらえませんか」という電話をかけてきたのである。 お金も余りないから1日分しかできない、という。普通ならば断っているのだが、妙に彼女の様子に興味をそそられ、色々相談した結果、1日だけ、1万円で付け焼き刃で教えられるだけのことを教えてあげる約束をした。 そして約束の日、「彼女」はやって来た。お腹が大きい。聞けばアメリカから帰国したばかりという。彼女は20代後半、配偶者の転勤で日本に戻ることになり、一足先に住居探しなどのために帰国したそうだ。そして、パソコンのプライベートレッスンを受けるのは、こちらでの就職に少しでも有利にするため。 渡米前に持っていた僅かなワープロの知識だけでは役に立たないと思ったそうだ。 「でも1日では大したことは出来ないですよ?」と聞くと、それでもいいのだ、という。「はったり」をかませられるように、とにかく付け焼き刃でどうにかして欲しい、という。 その迫力にこちらもやれるだけやりましょう、ということになった。 彼女は足立区に住む予定だという。
子供が生まれる → 自分も稼がなければ生活できない → 子供を預ける先が必要 → 公立の長時間保育園をさがさねば という。 「あちこち役所に電話をかけまくるんです!」 そして、足立区に目的の保育園の空きがあることを突き止めたそうだ。 素晴らしいではないか。 私はこういう「潔い」人がとても好きである。 自分の目的が大変明確で、その為のメソッドを無駄なく実行できる。 聞いていてものすごく気持ちがいい。 お金がないから働く。 働くために はったりでパソコンのイロハを1日で身につける。 そのために体当たりで電話帳片手に自分の出せる料金で望む結果を与えてくれるところを見つけだそうとする。 子持ちで働くために、公立長時間保育園の空きが必要。 だから、保育園が空いている土地に移住する。 彼女は「実現できないことの言い訳」を絶対にしないだろう。 こういう人がもっと増えたら世の中は大分住みやすくなるのだが。 彼女は今も何処かで元気良く、彼女の息子か娘と生きているのだろう。そう想像するとなんだかこちらまで心強いものである。 ◆ 余談であるが、いつだったか朝日新聞投書欄である専業主婦の投書を読んだ。専業主婦優遇策(年金掛け金タダなど)を見直すという政府の方針に対する憂慮の投書である。たしかこんな趣旨だったはずだ。 「結婚したら退職しなければならない会社だったので、退職し、今は子供が出来て働けない。 なのになぜ?」 とぐちぐち言っているわけだ。つまり自分が収入がないのは自分のせいではなく、夫や世の中のせい。だから、世の中が負担してくれるのが当然なのに、負荷をかけられるのは納得できない、というような感覚である。 思わず、苦笑してしまう。そして、 「足立移住予定の彼女」のことを思い出してしまった。 おそらくこの主婦に彼女のような人のことを話しても、「そう言う人は『特別』な人だから。皆がそんなに『強い』わけではない」とでも言うのだろう。 (この辺、内田春菊の「幻想の普通少女」などを連想しつつ書いている。) 『特別強い人』でもなんでもない。 自分の人生を自分で選びとって、それを納得して生きている潔い人であるだけである。 そもそも女子社員は結婚したら退職、という方針のその会社を選んだのは誰? この主婦は30代前半だったから、時代的には他にも選択肢はあったはず。 自分だってOL時代には「いつかは寿退社」と思っていたのでは? 百歩譲っても、それで風習に従って会社を辞めたのは自分が選んだことであると何故自覚しない? 世の中にはそういう会社方針に逆らって自分の意志を貫く女性はいくらでもいる。選択肢はあったはずだ。 少なくとも 「何か」と天秤にかけて、角を立てない方を自分が選んだはずだ。 その方が楽だから。 だから 「結婚退職」は自分が選んだことであって、誰のせいでもないのである。 結婚したら家に入って欲しいというダンナを選んだのであれば、それも自分の選択。 全ては「自分のせい」である。世の中のせいではない。 自分が好きで維持している身分に対して、なんで人が保護してやらなければならない? 子供が居ること自体は働けない理由には全くならない。 それで働けないというのは 自分の中に理由があるのである。 専業主婦を選んだのがまるで不本意であるかのような物言いが、中途半端で不愉快である。 いいじゃない、専業主婦で。 私は働かないですむなら働きたくないし、専業主婦の方が向いてると思うからやってるの。・・・そう明言すればよいだけである。 但し、自分の趣味でやってるわけであるから、それを優遇策でなんかしてもらう「権利」があるなどとは思ってはいけない。 それだけのことである。 本来 有職者と無職者は 同等だ。 自分のことは自分で。 自分の人生は自分で選び、自分で落とし前をつけよう。 働くも働かないも自分の自由。 ・・・・たったそれだけのことである。簡単でしょう? |
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